ミンロウドで睡 (ねむ) る

ミンロウドで見たものについて文を書きます. 書いたものはどんどんここに積んでいきたいと思います (更新速度は多分とても遅いです).

合理的配慮は何ではないか (ver.1.0)

合理的配慮 (reasonable accommodation) という言葉と概念と現在進行形の現象があります. 

私はいくつかの側面からこの概念については懐疑的ですがそれは後日別の記事で増補したいと思います. 

それはさておいたとしても, 今現在検討されている「合理的配慮」というものは随分と健常者にとって都合のいいものとしてゆがめられている*1 なあという感じがしています. 

私の考える「合理的配慮とは何か」を私の中で洗練するために, 

私の考える「合理的配慮は何ではないか」について書いてみたいと思います. (結論までが若干長いのでさっくり内容に移りたい人は 下の本文へ.) 

 

まずは, 私以外の考える「合理的配慮とは何か」の一側面について, 

障害者の権利に関する条約 | 外務省 から (引用内強調筆者). 

第二条 定義

 この条約の適用上、
 「意思疎通」とは、言語、文字の表示、点字、触覚を使った意思疎通、拡大文字、利用しやすいマルチメディア並びに筆記、音声、平易な言葉、朗読その他の補助的及び代替的な意思疎通の形態、手段及び様式(利用しやすい情報通信機器を含む。)をいう。
 「言語」とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう。
 「障害に基づく差別」とは、障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。
 「合理的配慮」とは障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。
 「ユニバーサルデザイン」とは、調整又は特別な設計を必要とすることなく、最大限可能な範囲で全ての人が使用することのできる製品、環境、計画及びサービスの設計をいう。ユニバーサルデザインは、特定の障害者の集団のための補装具が必要な場合には、これを排除するものではない。 

つまり,「障害に基づく差別」である要件の一つに「合理的配慮の否定」も含まれ, 合理的配慮とは

「障害者が他の者との平等やすべての人権を確保する際に必要な

変更及び調整 (accommodation) であり, かつ

均衡を失した又は過度の負担を課さないもの (reasonable)」

であるという事ですね. 正直いろんな問題を感じる理念ですが*2, そのミニマムな論理すら不具にされたような解釈と運用も多く通用しているなあと感じています. 

合理的配慮 - Wikipedia

合理的配慮(ごうりてきはいりょ)とは、障害者から何らかの助けを求める意思の表明があった場合の、負担になり過ぎない範囲の、社会的障壁を取り除くために必要な便宜のことである。障害者権利条約第2条に定義がある。

合理的配慮は、障害者一人一人の必要性や、その場の状況に応じた変更や調整など、それぞれ個別な対応となる。障害者が合理的配慮を求めた場合、その要求は広く一般の人に法的拘束力を持つ。過度の負担を立証できない限り拒否できない。 

wikipediaの説明だと, 合理的配慮は

・障害者助けを求めるもの

・負担が過度になっていないかという要件を満たした範囲でだけ認められるもの

という論法になっていますね. 厳密にはそういう読み取りだけが出来る書き方にはなっていないはずなのですが, そういう風に解釈と運指されることがとても多いのではないかと懸念しています. その方が健常社会にとっては有利ですし, これまでの社会や自分たちのありかたを検討しなおすという視点を持たなくてもいいかもしれないからです. 

 

ですので, 私はそういう (障害者が条約の策定に関する議論を通じて訴えてきた事を無かったことにするような)「合理的配慮」という語の使われ方をするような未来が来ないことを望んで, 私の考える「合理的配慮ではない」ものについて書いてみたいと思います. 

 

本文: 

合理的配慮のプロセスとは, 

 ・私たちの思考を停止したり枠組みにはめて省力するための道具ではありません.

 カミングアウト等と同様に, 終わりのないプロセスです.

・障害者がコストを払って導入しようと用意したものを難癖をつけつつ寛容するプロセスのことでもありません.

たしかにこれは障害される人たちを対象としたaffirmative actionに相当する物ですが, 障害者差別の問題は障害者の問題であるというのと同程度あるいはそれ以上にこれまでの社会とそれによって受益している人と組織の問題です. 

「いかに私たちが障害者を寛容するか」というイシューではなく, 「いかに私たちの差別的構造を解消できるか」というイシューに向き合ってください. 

・合法的な排除の線引きの要件を策定することでもありません. 

 Accomationとは「調整」という意味の方が近いです. 「配慮」という訳語は一方的な「配慮する者ーされる者」という (現実にも即していない) あらかじめ定まった地位の構築を想像させるものです. 

根本的に必要不可欠な事として,「何が愛と正義かを判別して施す私たち」という幻想*3 から降りて, 「なぜ合理的配慮という概念が提起されたのか」という経緯を忘却することなく, 「差別の解消という1つのイシューを (利益相反する, これまでの*4 障害する社会から利益を受けてきたもの, 不利益を得てきたものそれぞれの立場から) 取り組む」という観点に変更する必要があります. 

 

合理的配慮 /reasonable accommodationとは,「対等を実際的に実践する事を目的としてオルタナタィブを模索する, 終わりのない*5 プロセス」のことを差すのだと考えます.

 

ver 1.0 (draft) 

*1:crippled

*2:2回目

*3:とそれを支える権力

*4:現在の

*5:もしあなたが, この世界や人間の世紀, あなたが存命中に人権を行使できる期間といったものに終わりを想定していないならば, 当然障害者の生きる世界や時代にも終わりは想定し得ません.