ミンロウドで睡 (ねむ) る

ミンロウドで見たものについて文を書きます. 書いたものはどんどんここに積んでいきたいと思います (更新速度は多分とても遅いです).

「鎮める」ヘゲモニーという概念

ヘゲモニー (覇権, 覇権主義) の暴力性・問題のイメージとして, 私たちは
明白 *1に相手を抑圧/恐喝/陥穽/搾取するような, 相手の物理ないし心象に対するオフェンシブな現象・働きかけ・又は制度の構築, を想像することが多いと思われます.
しかし私は, そもそもそれとは真逆に「鎮める」ようなヘゲモニー, つまり少なくとも表層の現象上は

完全に (何かを)「鎮める」という形をとってなされるヘゲモニーというものもあり, それをもっと意識しないといけないのではないかと思い至りました. *2

念を押すと, それは「ヘゲモニーには苛烈な表出とそうではない幾分穏便なものがある」というようなことではありません. そうではなく, はじめから世の中の何かを鎮静化する・無効化する, そういう現象によって覇権が顕現し搾取や加害が働く可能性, 問題が収斂する/させようとするベクトルの現象の中からも覇権の加害を見つけることの重要性を指摘したいのです. 

マイノリティから問題が提起されたり, 社会における歪みや被害の偏りが見いだされたときに,
その様な主張は強烈に「鎮められ」ます. 表層的な運動の現象は「癒されよう, あやされようと」します.
私たちの常識的なイメージとしては, 吹き荒れるような現象は望ましくなく, その様なものを鎮静化するような動きは望ましいもの, そういう風に考えられているかもしれません. 
でも, それは必ずしも常に成り立つことではないのかもしれません.
さらに言えば, 何かが沈められ他は沈められない, そんな現象上ではほんの些細な行為によっても不公正はなす事が出来ます. 

日常に回帰し平常と平静を取り戻すこと,
鎮めること/静まることの中にも暴力・不正義・悪さと呼ぶものは含まれ, それは指摘されるべきなのだと考えます.
ヘゲモニーは鎮める形態をとって顕現することがあるし, 鎮まった現象の中のヘゲモニーの役割や立ち位置というものに気付くということを忘れないようにしたいです.


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*1:あるいは暗黙

*2:鎮めるのイメージとしては某漫画の宝貝の様な発動を想像しています

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藤崎竜_封神演義_太極図 やっぱり問題なら図は謝罪して消します.