ミンロウドで睡 (ねむ) る

ミンロウドで見たものについて文を書きます. 書いたものはどんどんここに積んでいきたいと思います (更新速度は多分とても遅いです).

「感覚過敏」という見えやすいものに注力して研究されるという傾向から明らかになるもの

発達障害を科学的に探求しようとすると「感覚過敏」という見えやすいものに注力して研究される傾向にあるようです*1.
だから問題だ, という結論には一直線に向かわないのですが,
私は「研究の結果が社会的に障害の内包を形作る」という社会現象性に着目するしそれをよく意識しておきます. またその記述に濃淡が不可避的につけられる事自体によって, 記述された対象のイメージがまた変容するという社会現象性も忘れられべからざるものであるし,「研究」する側もそれを自覚し自他に留保を十分につけるべきだと思うのです.
「感覚過敏が目立つし際立った障害現象だから詳述される」のではなく,「感覚過敏が相対的に研究しやすい*2 から詳述される」, そしてその選好は「研究」側の都合です.

上記からは研究行為には意図しようとしまいとまた望もうと望むまいと2つの権力性があることがわかります.
・広く語り言説を形成する権力. 科学的学問的に正義*3 であることを理由として社会と相手に介入する権力.
・何が語られるべきかという判断に「研究しやすい, 研究に適合する」という理由が優越するという権力. 何を語り何を語らないかを選ぶ権力.

良し悪しを一足飛びに論じることはできなくとも, これもまた現在進行形で構築されつつある「障害の現象」なのだということは確かです. 研究するという事は障害という概念を作るという政治的なものであり*4, けだし「探求するということは政治的なこと. 研究する人は政治する人」です.

*1:例によって, そう言う方向に研究する人を私が全員嫌いなわけではありません.

*2:別の言葉で言えば,「研究」という障害とは関連しない規格によりフィットする

*3:それは閉じている正しさでもあるが, 科学のレベルで, また科学を越えたレベルで方向は差し戻せるものでもあります.

*4:当事者研究だってそう.